還暦の意味と計算方法、干支との関係について

還暦(かんれき)

(60年で再び生まれた年の干支に還(かえ)るからいう)数え年61歳の称。華甲(かこう)。本卦還(ほんけがえり)。「─の宴」(『広辞苑』第6版による)

「華甲」=(「華」の字を分解すれば、六つの十と一とになる。「甲」は甲子きのえねの意)数え年61歳の称。還暦。ほんけがえり。(同じく『広辞苑』第6版による)

還暦という言葉の意味(還暦とは)

それぞれの年には、干支(えと)が当てられています。例えば、平成19年(西暦2007年)の干支(えと)は丁亥(ひのと・い)ですが、ふつうは前の「丁」を略して、「今年は亥年(いどし・いのししどし)だ」などと言ったりしています。
この干支(えと)は「甲子~癸亥」の60種類あるので、61年目にもとの干支に還ることになります。つまり、数え年61歳の年に自分の生まれた年の干支に還ることになるので、数え年61歳を「還暦」と言うわけです。満年齢でいえば、満60歳の誕生日を迎える年が、還暦の年ということになります。

※「還暦」というのは、もともと数えで年齢を数えた時の言葉なので、満年齢で考
えると、話が少しややこしくなります。
数え年だと1月1日に年をとりますから、正月になって、「私は、今年61歳になり
ました。還暦を迎えました」と言えるのですが、満年齢だとそうはいきません。
満年齢では誕生日に年をとるので、例えば12月1日に生まれた人の場合、満で60歳
を迎える年の正月は、まだ60歳になっていません。しかし、干支は既に生まれた年
の干支に戻っていますから、その年(満60歳になる年)の元日は、明らかに還暦の
年になっているわけです。もし、満年齢で還暦を言うとすれば、正月に、「私は、
今年の誕生日に満60歳になります。ですから、今年が還暦の年なので、この元日に
還暦を迎えたことになります」とでもなるでしょうか。
それで辞書などでは、還暦のことを、「数え年61歳の称」と書いてあるのでしょう。

 

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(注)満年齢の数え方については、日常生活におけるものと、法律上におけるも
のとで、1歳を加える加え方に違いがあります。
日常生活においては、誕生日を迎えて1歳を加えていますが、法律上は、誕生日
を迎える前日に1歳を加えることになります。
例えば、12月1日に生まれた人は、普通、翌年の12月1日に満1歳になる、と考
えますが、法律上は、生まれた翌年の誕生日前日、つまり11月30日に満1歳になる
わけです。
小学校入学の学齢について
学校教育法によれば、「満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め
から」「小学部に就学させる」ということになっていますので、4月1日生まれの
子どもは、その年の4月から小学校に入学することになりますが、4月2日に生ま
れた子どもは、4月1日の時点で満6歳になるので、翌年の4月に小学校に入学す
ることになります。
(参考1)学校教育法第2章義務教育
第16条保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年
後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に9年の普
通教育を受けさせる義務を負う。
第17条保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め
から、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は特別支
援学校の小学部に就学させる義務を負う。
(参考2)学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)
第4章小学校第3節学年及び授業日
第59条小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。

日常生活における数え方

 

(例1)甲子の年の12月1日に生まれた人の満年齢

 

 

1年目甲子の年の12月1日……0歳(誕生)
2年目乙丑の年の1月1日……0歳12月1日……1歳
3年目丙寅の年の1月1日……1歳12月1日……2歳
……
7年目庚午の年の1月1日……5歳12月1日……6歳
8年目辛未の年の1月1日……6歳
4月1日(小学校入学)12月1日……7歳
……
60年目癸亥の年の1月1日……58歳12月1日……59歳
61年目(還暦の年)
甲子の年の1月1日……59歳12月1日……60歳

 

(例2)甲子の年の12月1日に生まれた人の数え年

 

 

1年目甲子の年の12月1日……1歳(誕生)
2年目乙丑の年の1月1日……2歳
3年目丙寅の年の1月1日……3歳
……
7年目庚午の年の1月1日……7歳
8年目辛未の年の1月1日……8歳
4月1日(小学校入学)
……
60年目癸亥の年の1月1日……60歳
61年目(還暦の年)
甲子の年の1月1日……61歳

法律上における数え方

 

(例1)甲子の年の12月1日に生まれた人の満年齢

 

 

1年目甲子の年の12月1日……0歳(誕生)
2年目乙丑の年の1月1日……0歳11月30日……1歳
3年目丙寅の年の1月1日……1歳11月30日……2歳
……
7年目庚午の年の1月1日……5歳11月30日……6歳
8年目辛未の年の1月1日……6歳
4月1日(小学校入学)11月30日……7歳
……
60年目癸亥の年の1月1日……58歳11月30日……59歳
61年目(還暦の年)
甲子の年の1月1日……59歳11月30日……60歳

なお、『網際情報館』というサイトに「4月1日生まれの子どもの学齢」
というページがあって参考になります。

(お断り:満年齢の数え方については、2009年3月14日に書き加えました。
この項の記述に誤りがあるといけませんので、お気づきの点を教えて
いただければ幸いです。
資料300に「年齢の数え方に関する法律」があります。)

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還暦の祝いと干支

昔は、還暦には、赤ちゃんに還るという意味(干支が生まれた年に戻るので)と、赤は魔よけの色ということから、赤い袖なし羽織(ちゃんちゃんこ)や赤い頭巾・赤い座布団などを贈って、お祝いをしたものだそうです。
(尤も、昔といっても、還暦の祝いは近世になってから一般化したお祝いだそうです。また、本来は男性だけが対象となるお祝いだったそうです。)

以下、参考までに、干支(えと)(十干十二支)について、少し触れておきます。

○干支(えと)について
「干支」は、普通「えと」と読みますが、音(おん)で読めば「かんし」となります。「えと」の「え」は兄(え)、「と」は弟(おと)のことです。
「干支(えと)」とは、十干十二支(じっかん・じゅうにし)のことで、「甲子」「乙丑」「丙寅」「丁卯」……など、全部で60あります。

十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のこと、十二支とは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のことです。
十干(じっかん)の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を音(おん)で読んでみると、次のようになります。
こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き
十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を音(おん)で読んでみると、次のようになります。
し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい
十二支の訓での読み方は、挙げるまでもないでしょうが、
ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
と読んでいます。

ただし、「亥」は、日本では訓で「い・いのしし」と読んで「いのしし年
(どし)・い年(どし)」といいますが、中国では「亥」は「ぶた」のことで、
中国をはじめ韓国や香港などでは「ぶた年(どし)」となるそうです。
中国ではぶたは金運の象徴で、ぶた年生まれの人は金運に恵まれるとされ
るそうです。
なぜ日本だけが「ぶた年(どし)」でなく「いのしし年(どし)」なのかとい
うと、干支(えと)が入って来た当時、日本ではぶたを飼っていなかったから
で、そこで、ぶたの先祖の「いのしし」を「亥」にあてたのだそうです。
日本では弥生時代に北九州を中心にぶたを飼ったことがあるそうですが、
ぶたを飼うより野生のいのししを狩ったほうが手っ取り早いのですぐにすた
れたそうです。やがて仏教の伝来によって肉食が嫌われ、沖縄以外ではぶた
は飼われず、慶長年間(1596~1615)に長崎にぶたが伝わって、これが日本
での養豚の始まりとなったそうです。ただ、産業としての養豚が盛んになっ
たのは明治以後のことだそうです。
(この「ぶた年」についての項は、前半は朝日新聞2007年1月6日・土曜be版掲載の「昔も
今も」〔干支国際基準では「ブタ年」〕…筆者は茨城大学助教授・磯田道史氏…に、後半は
平凡社版『国民百科事典12』(1978年7月27日初版発行)よって記述しました。)

この十干に五行(ごぎょう)の「木・火・土・金・水」(もく・か・ど・ごん・すい)を当てはめて、
木……甲・乙
火……丙・丁
土……戊・己
金……庚・辛
水……壬・癸
としました。
日本では、これに陽をあらわす兄(え)、陰をあらわす弟(と)をつけて、
甲(きのえ)・乙(きのと)……(木の兄)・(木の弟)の意
丙(ひのえ)・丁(ひのと)……(火の兄)・(火の弟)の意
戊(つちのえ)・己(つちのと)……(土の兄)・(土の弟)の意
庚(かのえ)・辛(かのと)……(金の兄)・(金の弟)の意
壬(みずのえ)・癸(みずのと)……(水の兄)・(水の弟)の意
としたのです。

十干と十二支を順に組み合わせたものが、「甲子」「乙丑」「丙寅」「丁卯」……「癸亥」で、音で読めば「かっし・こうし」「いつちゅう(いっちゅう)」「へいいん」「ていぼう」……「きがい」、日本的に訓で読めば「甲子(きのえね)」「乙丑(きのとうし)」「丙寅(ひのえとら)」「丁卯(ひのとう)」……「癸亥(みずのとい)」となります。
組み合わせは全部で60種類になります。この60種類の組み合わせを、昔は年や月・日に当てて用いたわけです。

ここで、あらためて10種類の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸と、12種類の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を順に組み合わせていくと(「甲子」から始めて、順に「乙丑」「丙寅」……とやっていくと)、何種類の組み合わせができるかを、考えてみましょう。

答えは、既に何度も書いたように60種類になります。(10と12の最小公倍数=60です。)

煩をいとわず、その60種類の組み合わせを全部挙げてみましょう。

○干支(十干十二支)

1甲子(かっし・こうし:きのえね)
2乙丑(いつちゅう:きのとうし)
3丙寅(へいいん:ひのえとら)
4丁卯(ていぼう:ひのとう)
5戊辰(ぼしん:つちのえたつ)
6己巳(きし:つちのとみ)
7庚午(こうご:かのえうま)
8辛未(しんび:かのとひつじ)
9壬申(じんしん:みずのえさる)
10癸酉(きゆう:みずのととり)
11甲戌(こうじゅつ:きのえいぬ)
12乙亥(いつがい:きのとい)
13丙子(へいし:ひのえね)
14丁丑(ていちゅう:ひのとうし)
15戊寅(ぼいん:つちのえとら)
16己卯(きぼう:つちのとう)
17庚辰(こうしん:かのえたつ)
18辛巳(しんし:かのとみ)
19壬午(じんご:みずのえうま)
20癸未(きび:みずのとひつじ)
21甲申(こうしん:きのえさる)
22乙酉(いつゆう:きのととり)
23丙戌(へいじゅつ:ひのえいぬ)
24丁亥(ていがい:ひのとい)
25戊子(ぼし:つちのえね)
26己丑(きちゅう:つちのとうし)
27庚寅(こういん:かのえとら)
28辛卯(しんぼう:かのとう)
29壬辰(じんしん:みずのえたつ)
30癸巳(きし:みずのとみ)
31甲午(こうご:きのえうま)
32乙未(いつび:きのとひつじ)
33丙申(へいしん:ひのえさる)
34丁酉(ていゆう:ひのととり)
35戊戌(ぼじゅつ:つちのえいぬ)
36己亥(きがい:つちのとい)
37庚子(こうし:かのえね)
38辛丑(しんちゅう:かのとうし)
39壬寅(じんいん:みずのえとら)
40癸卯(きぼう:みずのとう)
41甲辰(こうしん:きのえたつ)
42乙巳(いつし:きのとみ)
43丙午(へいご:ひのえうま)
44丁未(ていび:ひのとひつじ)
45戊申(ぼしん:つちのえさる)
46己酉(きゆう:つちのととり)
47庚戌(こうじゅつ:かのえいぬ)
48辛亥(しんがい:かのとい)
49壬子(じんし:みずのえね)
50癸丑(きちゅう:みずのとうし)
51甲寅(こういん:きのえとら)
52乙卯(いつぼう:きのとう)
53丙辰(へいしん:ひのえたつ)
54丁巳(ていし:ひのとみ)
55戊午(ぼご:つちのえうま)
56己未(きび:つちのとひつじ)
57庚申(こうしん:かのえさる)
58辛酉(しんゆう:かのととり)
59壬戌(じんじゅつ:みずのえいぬ)
60癸亥(きがい:みずのとい)

 

(注)漢和辞典によれば、「乙」の音は、「イツ」が漢音、「オチ」が呉音、

「オツ」が慣用音、ということだそうです。
甲乙丙というときは「こう・おつ・へい」と乙を慣用音で読みますが、
乙丑や乙亥というときは「いつちゅう」「いつがい」と、乙を漢音で読
んでいるようです。(尤も、『広辞苑』には「いっちゅう」「おっちゅ
う」・「いつがい」「おつがい」・……と、両方の読みが示してありま
すが。干支えとの表参照)
なお、ここでは「乙丑」・「乙巳」を「いつちゅう」・「いつし」と読
みましたが、『広辞苑』ではそれぞれ「いっちゅう」(「おっちゅう」)・
「いっし」と促音で読んでいます。

ちょっと考えると、10×12=120で120種類の組み合わせができそうに思いますが、そうではありません。
10種類のものと12種類のものを順に組み合わせていくので、2つずつずれていくために、上の奇数番目のもの(甲・丙・戊・庚・壬)と下の偶数番目のもの(丑・卯・巳・未・酉・亥)とは組み合わせができないのです。
同じように、上の偶数番目のもの(乙・丁・己・辛・癸)と下の奇数番目のもの(子・寅・辰・午・申・戌)とは組み合わされません。
ということで、甲・乙・丙・丁・……の十干はそれぞれ6種類のものとは組み合わせができないので、すべての組み合わせから組み合わせのできない数を引いて、
(10×12)-(10×6)=120-60=60
で、干支は120の半分、60種類ということになるわけです。
つまり、甲丑・甲卯・甲巳・甲未……や乙子・乙寅・乙辰・乙午……などは、干支としては出てこないのです。
(やはり、干支の数は、10と12の最小公倍数が60だから、60種類になる、と考えるのが、最もすっきりしているでしょうか。)

☆平凡社の『国民百科事典』(1977年7月20日初版第1刷発行)によって、干支(十干十二支)についての説明をしておきましょう。

十干十二支の起源

十干十二支は、古代中国で発生したもので、起源は非常に古く、殷(いん)時代末期(前15~前11世紀)に作られた甲骨文字の中に既に現れているそうです。

○十干十二支と紀日法・紀年法
初めは十干と十二支を順に組み合わせて60の順位名を得、それらによって日付けを表す紀日法であったといいます。
それが後年、漢の武帝が太初暦を作ったころ(前104年)、年を表す紀年法にも転用されるようになりました。
同時に、月にも十二支が用いられるようになったそうです。
(紀日法=ある特定の日を基準にして、日付けを表す方法。
紀年法=ある特定の年を基準にして、年を表す方法。)

十二支と動物・方位・時刻

十二支に動物を配当するようになったのは漢代のころで、王充の『論衡』に初めて見られるそうです。
また、十二支を方位に配当するのも、漢代に起こったといわれます。
漢代以後、十二支は時刻を数えるのにも用いられ、一日を12分して、それぞれ十二支を配当しました。

○これらの、干支によって時刻や日・月・年を表す方法は、日本や朝鮮などの漢字圏に伝えられ、古くから用いられてきました。中国で定められた甲子の日・年は、そのまま旧来の暦に受け継がれ、今日に至っているそうです。

十干十二支と五行

五行(ごぎょう)とは、万物の根元となる五つの元素、木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)のことで、戦国時代の騶衍(すうえん)が、この五行によって歴代王朝の変遷の順序を理論づけました。
十干十二支が五行と結びついたのは、戦国時代末期から漢代にかけてのころだそうです。
(十干)(十二支)
木甲乙寅卯
火丙丁巳午
土戊己丑辰未戌
金庚辛申酉
水壬癸亥子

日本では、十干を五行に配したものを二つのグループに分け、前のグループを兄(え)、後のグループを弟(と)と名づけたことは、前にも触れました。

兄(え)弟(と)
木(き)甲(きのえ)乙(きのと)
火(ひ)丙(ひのえ)丁(ひのと)
土(つち)戊(つちのえ)己(つちのと)
金(か)庚(かのえ)辛(かのと)
水(みず)壬(みずのえ)癸(みずのと)

補足 

(注)1.『語源由来辞典』というホームページがあり、そこで「還暦」「華甲」などの

語についての解説が見られます。
2.上の「ある年の干支の求め方」のところに引いた、フリー百科事典『ウィキペ
ディア』の「干支」の項に、干支についての詳しい説明がありますので、ご覧く
ださい。
3.資料14に「杜甫の詩『曲江』(「古稀」の語の出典)」があります。
4.『古文書なび』というサイトに、「十干・十二支の異名」が出ています。
→『古文書なび』→「十干・十二支の異名」