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無くなった航空会社(パンアメリカン航空)

ここでは以前は世界中に路線を張り巡らし、1991年12月に運航を停止し、無くなった航空会社パンアメリカン航空(パンナム)について述べる。(参考記事は1992年3月号の『翼』など)

パンアメリカン航空の設立

パンナムは1920年代にエール大学を卒業したばかりのホアン・トリップなしでは語ることができない。彼は大学卒業後「ロングアイランドエアウエーズ」という航空会社を設立し、航空業界へ進出したが、うまくいかず、辞めてしまう。

しかしその後、多くの資金を得て、「アビエーションコーポレーション・オブ・アメリカ」という航空会社を設立し、キューバに乗り入れようとしたがうまくいかず、先に乗り入れを決めたパンアメリカン社を追い落とすため、トリップはキューバの独裁政権に独占的に乗り入れる権利を得た。この権利により、パンアメリカン社を買収し、社名も1927年10月にパンアメリカンエアウエーズに改めた。

太平洋、大西洋線への進出

1927年に南アメリカの路線を抑えたパンナムは、次に太平洋線を開設する。北周りは当時、ソ連や日本の許可が必要なため、その必要がない西海岸-ハワイ-ミッドウエー島-ウェーク島-グアム島-フィリピンを結ぶ路線を1935年に開設した(後に香港まで路線を延ばす)。この路線を開設するにあたり、米海軍の施設を使用している。

さらには1939年にはロンドン線を開設し、英国政府の要請により、ロンドンからカイロへの路線を開設した。

飛行機は太平洋、大西洋線共にボーイング製の4発エンジンの飛行艇314を用いている。座席は70席しかなく、機内は非常にゆったりとしていた。

戦前に太平洋線、大西洋線に就航したボーイング314飛行艇

終戦後のパンナム

終戦後はアメリカから世界中に多数の路線を持ち、さらには南米、アジアの航空会社に出資していたパンナムは1947年9月には日本へ就航し、1949年になると二階建ての飛行機のボーイング377ストラトクルーザーを就航させた。


終戦後の主力機ダブルデッカーのB377ストラトクルーザー

 

先見の明があったホアン・トリップは1955年にボーイング707やダグラスDC-8をそれぞれ大量発注し、1958年にはロンドンへ初就航させている。これにより多くの航空会社がジェット機を導入し、国際線は多くの航空会社でジェット化した。さらには来るべき大量高速輸送時代に備えてパンナムはボーイング707の約3倍の旅客を運べるボーイング747の製作を依頼し、大量発注させ、世界に先駆けて1970年1月に初就航させている。これにより一時はオイルショックにより赤字に転落した時期があったが、1978年には空前の利益を上げることができた。

規制緩和後のパンナム

1978年以降のパンナムは規制緩和の影響により国際線は厳しい競争にさらされた。さらには貧弱な国内線を強化するため、倒産寸前のナショナル航空を買収したが、経営が混乱し、本社ビルやインターコンチネンタルの株式を手放した。

1980年になると今度は一転価格競争で競合他社を打ちのめそうとした。しかしそれは旅行会社などに危険な航空会社だとの印象を植え付け、ますますパンナムの経営を圧迫する。

ついに、1986年には累積債務の増えた中で、最新鋭機を購入するため、太平洋線をユナイテッド航空に売却してしまった。これによりパンナムは日本線から完全に撤退した。

残る大半の資産もも結局デルタ航空に売り渡しが、これがもとでデルタ航空も経営が悪くなり、資金援助が得られなくなった。1991年にはついにパンナムは倒産し、運航停止に追い込まれた。

今まで何度となくパンナムの復活を試みたが、いまだに実現されていない。