「総領の甚六」という慣用句の意味とこの説に対する反対意見

「総領の甚六」を広辞苑で引いて見ると、(長男・長女は、その弟妹より愚鈍だということ)と出ている。
ちなみに「甚六」を引いて見ると、(総領の語に添えて、あまり俊敏でない長男、または長男のぼんやり育つのをいう語)とある。

総領は長女にも当てはまるので、生まれてこの方、長女である私には、いささか引っかかるものがある。

こんなことをぼんやりと考えていた或る日、偶然にも新聞に「姉と妹」についての、面白い見解を述べた記事を見つけた。

姉妹型の基本である出生順による性格の違いは、何回もの調査ではっきりしているという。
長子的性格の特徴は、まじめ、きちょうめん、落ち着いていて慎重。

一方、第二子は、おしゃべり、甘ったれでやきもちやき、無理にでも、自分の考えを通そうとする。調子に乗りやすく騒ぐのが好き。といった傾向が見られるという。

調査は児童対象であったが、年を取っても、基本的には変わらないとあった。
生まれながらの性格の違いは、生活環境にあるという。

長子は、最初の子供であるから、親は育児に全力投球し、過度の神経質になる反面、期待を大きく持つ。
第二子以下は、親も育児に慣れ、期待も小さく、のんびり育てることになるという。
私は、以前、何かで読んだことを思い出した。

――長子は、ほんとうに苦労して育ってきている。なぜならば、長子は、両親の教育をしなければならない立場だからだ。

何しろ両親は、何もかも初体験なのだから、子としても大変なのである。
生まれ落ちた時から、いやそれ以前、つまりお腹に入った時から、親に一つ一つ体験させなければならないのである。

夜泣き、病気、離乳、入学、遠足、運動会、卒業、入試と数え上げたらきりがないのである。その点、第二子からは、親はのんきなものである。(まあこんなものよ)と、平常心で子育てするのである。

そして、親は自分の体験不足を棚に上げ、長子に対して、(妹<弟>は、少しも手が掛からず良い子なのに)と言うに至っては、苦労して親を教育している長子にとっては、失礼千万な言葉なのではないだろうか――

長女の私としては、まことに溜飲が下がる思いであった。
しかし、長女の私から見ると、自由闊達な妹を羨ましく思う時もある。幼い時から親に、
「おねえさんでしょ、がまんしてね」
と育てられ、自重、慎重、真面目な性格になってしまったのかもしれない。
また、数日後の新聞に、ある心理学者が、同性の二人きょうだいを興味深く書いていた。

――「同じ親から生まれ、同じ物を食べさせ、同じように着せて育てているのに、なぜ二人はこんなにも違うのでしょうか」と、どこの親も言っている。それは、第一子と第二子の環境の違いにほかならないのである。

長子の遊び相手は、もっぱら親であり、いじめられたり、圧迫されることは何もないのである。
これに対して第二子は、主に上の子と遊び、自分より知恵も体力もある兄や姉と、接していかなければならない。

おのずと、第一子はおっとりとし、第二子は活発であるというのもうなずけるのである――

このような主旨あった。
我が家に同居の孫も二人姉妹である。妹の眠っているベッドに姉が入りたがり、ベッドによじ上っては、まだ赤ん坊の妹の上に、逆さまに落ちたものだった。

妹が最初に覚えた言葉が「イタイ」であり、次に覚えた言葉が「ヤメテ」であった。
これは小学生になった今でも、一つ語りになり、時々大笑いしているのである。

しかし、これはすぐに逆転し、妹の方が改革的に行動している。目立ちたがりやで、すぐにパフォーマンスを演ずるのである。
時には姉に甘え、利を自分のものにする。その割りには、泣き虫で弱いのである。

姉は慎重で、きちょうめんであるが、責任感や指導力があり、私も娘(2人の母親)も、いざという時には姉の方を頼りにするのである。
私は、折にふれ、かつての自分を見ているようで、いじらしくなるのである。

私の下には、4人の弟妹がおり、私は、いつも、(両親の手助けをしよう。少しでも家の役にたとう)と心掛けていた。
今でも、年老いた母から少なからず頼りにされ、弟妹たちにも慕われている。

時には(長女はつらいな)と思いつつも、多少の気概を覚えるのである。
かくして、総領の甚六の定説には、いささかの異論を唱えたいのである。